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2008.02.03 (Sun)

ファミリー 1

テキサス州西部サンアントニオから車で約一時間ほどの田舎町バンデラ。
そこに広大な敷地を有するアンダーソン牧場がある。

深夜、親父の運転するおんぼろピックアップのエンジン音が聞こえた。
おれは部屋から飛び出して、玄関ホールまで一気に駆け降りて出迎えた。
「残念、親父っ、見逃したな!きのうの朝エリーの子供生まれちまったぜ。すっげえかわいい栗毛の牝馬で…!」
おれは最後まで言い終えることができなかった。
何しろ、親父の後ろに隠れるようにして、心配そうにおれを覗き込んでくる、ダークヘアの白人の子供が、そこにつっ立てたからだ。
気弱そうな生っちろいボーイ…それがおれから見た、クリスの第一印象だった。

親父がそのガキの頭に手を置くと、決然と言い放った。
「今日からアンダーソン家の新しい息子になったクリスだ」
一瞬、おれは親父の有無を言わせない、断定口調に気圧されてしまった。

「二人とも同じ年だが、クリスは慣れない牧場暮らしで大変だろうから、お前がよく面倒をみてやってくれ」
心の余裕ができたところで、そいつを観察してみると、いままでずっと泣きはらしました…ってわかる充血した目をしてた。
真っ赤な目でおれのことオドオドと見てるので、ちょっとたまらなくなってしまった。
どうしてそいつが泣いてたのかわかんねぇし、詮索して聞く気もなかった。
でも、おれまで泣きそうになってきそうだった。
だから、おれはとっておきのスマイルを貼り付けて自己紹介した。
「おれ、JPってんだ。よろしくな!」
「………」
クリスは親父の陰に隠れて更に硬直して縮こまったが、かまわずおれは引きずり寄せてハグした。
おれ達が出会ったのはまだ10才の頃だった。


次の日ルピータに紹介すると、いつになく険しい顔をして、クリスを上から下まで眺め回した。
そして、でっぷりと太った腰に手を当てながら言い放つ。
「あんれまあ!生っちろいひょろひょろのぼんずだねぇ!かわいそうに、ろくなもん食ってなかったんだろう。まってな、いまルピータ母さん特製のトルティーヤと牛肉の黒ビールシチューを用意してやるからね」
クリスは期せずしてルピータの料理魂に火をつけたようだ。

いかにも重そうな体をどたどたと揺すりながらキッチンに向かうルピータをクリスと一緒に見送りながら、おれは意地悪くささやいてやった。
「気をつけろよ、ルピータの何より許せないことは、自分の作った料理を残されることだからな」
クリスが蒼白になったことは言うまでもない。

母屋に住んでいるのは親父とおれと、住み込み家政婦で、気のいい陽気なチカーノのルピータだ。
そして牧童達は敷地内にある、平屋建ての牧童棟に住んでいる。
親父の弟で牧童頭のジム。ベテランのロックにルピータの息子のパコ。物好きな日本からの農業研修生のヤス。メキシカンのカルロスとホセは不法入国者らしい。まあ、テキサスでは珍しいことではない。他に季節労働の流れのカウボーイが何人か入れ替わっている。

そんな大所帯のアンダーソン・ファミリーにクリスは加わったんだった。

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2008.02.03 (Sun)

ファミリー 2

「ぼくも学校の授業が終わったら、JPと一緒に牧場の仕事を手伝います!」
クリスは殊勝にも、親父にそんなことを言ったらしい…
クリス用に新調したウエスタン・スタイルは、サンアントニオでよく見かけるアーバン・カウボーイみたいで腹を抱えて笑っちまった。何というか、テンガロン・ハットもウエスタン・ブーツも当たり前だけど新品だからまだこなれてねぇし、ワークシャツにリーバイスのジーンズは、おれなら断然ラングラーってとこだけどさ。ま、それでも格好だけは新米のカウボーイとして認めてやるさ。けど牧場の仕事は甘くはないんだぜ。気軽に手伝うなんて言うから親父は単純によろこんでやがるけど。

クリスとコミュニケーションをはからなきゃっ…てのは家長命令なんだが、マズイ問題があった。
奴の話す言葉が早口すぎて聞き取れないのだ。
「おい!もっとゆっくりしゃべれよ。ーったく、どこのド田舎から出てきたんだ?お前の訛りひどいぜ!」
「ごめん、ニューヨークに住んでたんだけど……」
Yankee go home.
おれは心の中で毒づいた。
ヤンキーとレッドネックの確執は深いのだ。
古くはは南北戦争にまで遡る。北部の連中は南部の人間をレッドネック、つまり炎天下のもと、農作業で首を赤く日焼けして働く田舎の貧乏人と、侮蔑を込めて呼んでいるし、南部の奴は表向きには北部の人間を性差別者だとして嫌ってるけど、実の所は自分たちを見下してるのが、単純にムカついてるってことなんだけどさ。

カウボーイっていうと颯爽と馬にまたがり、ロープを操り、牛を四方から囲い込む。
でも牧場経営はそんなかっこいいことばかりじゃないんだな。
牛を育てるための作業は何でも自分達でやる。
夏場は私有地の荒野に放牧されている牛だが、病気の牛馬は檻や牧場内の放牧地に入れて飼育する。
更に冬場は餌不足になるのでほとんどの牛馬がそれに加わる。
放牧されている牛馬を含めた、すべての給餌は毎日続く。
その他に古くなった柵の修理だの、厩舎や畜舎に餌桶の掃除、他の家畜の世話や牛の交配、子牛の焼印押し、雌牛の卵巣除去と雄牛の去勢、ラウンドアップに出荷。春から秋にかけては牧場内の放牧地に牧草を栽培して冬に備える。

クリスがおれの通ってるエレメンタリースクールに通うようになり、友達のアルやコーディ達に、クリスと同居してることが知られてしまって、いろいろ詮索されたけど、めんどくさいんで遠い親戚ってことにしておいた。
だって、来ちまったモンはしょうがないじゃないか。問題はこれからお互いを知り合って、どう生活していくかであって、それ以前のことはもうクリスの方で決めちまったんだよ。
それに普段は親父のこと粗雑に扱ってるおれだけど、親父はやっぱりアンダーソン家の家長でさ、家長の決めたことは従わなくちゃならない。いざと言う時の親父の判断は常に正しいと信じてるんだ。苦労の割には報われることの少ない牧場経営を続けてる親父を心底尊敬してるから。その親父が連れてきたクリスだから、おれはクリスを受け入れることにする。
何というか、おれの後ばかりついてくるクリスがかわいいし、弟がいたらこんな感じかな…なんて思ったりもして、ちょっとくすぐったいけど悪い気はしない。

とにかく、牧場にいて馬に乗れないことにはお話にならない。
ラウンドアップの手伝いくらいは早めに出来たほうが良い。
そういう訳で、ルピータの息子のパコが、クリスの乗馬の世話係に任命されて、おれも同行することになった。
パコは岩場のゴツゴとした急斜面でも、手綱を操り内腿で馬の脇腹を締めて、易々と主人の命令に従わせる技術を持っている。一見すると馬を手荒く扱ってるようにもみえるが、パコは馬の扱いを心得てて、パコの愛馬も主人を信頼してるから彼に従うのだ。
カウボーイの乗馬は、馬術教室のようなお上品な乗馬とは違って、馬とともに生きる、生活の一部となっているのだ。
ちなみにパコのブーツには美しい拍車がついているが、それを馬に使うことは滅多にない。
なぜ必要かといえば、美しい拍車を身に付けることはカウボーイにとっての一種のステイタスだからだ。
おれも愛馬のエリーに跨って、パコのように馬を自在に操ることが目標だが、今のところまだ足元にも及ばない。
一方クリスはと言えば、鐙に足を引っ掛けて、馬の背に跨るまでに散々苦労して、馬上の高さに震え上がり、パコが並走してクリスの乗馬にウォークの指示を出すと、もはや恐怖でいっぱいになってしまったようだ。ただ、並足で歩かせてるだけだってのに…
クリスの乗馬は鹿毛の古馬で、額に星形の白斑があるので、エストレージャと言う名前がついている。牡馬で馬体は大きめだが、頭が良く、落ち着きがあって大人しいから、初心者には比較的扱いやすい馬だ。
そのはずだが、エストレージャも退屈するほどの牛の歩みで、パコもうんざりしてトロットの命令を出すと、馬は従うべき人間を心得ているので、エストレージャは嬉々として速足になり、クリスは前後に揺られて手綱を握り締めて、早々に弱音を吐いた。
「わっ!だめ!もう、無理だよっ…!」
「オッケー、オッケー、今日のところはこんなもんだろ。初めてにしては上出来だ!なあに、お前さんは筋がいいから、すぐにJPくらいには乗りこなせるようになれるだろうぜ!」
パコは噛みタバコのヤニで、黄色く変色してしまった歯を全開にして、クリスのやる気を奮い立たせるために、心にもないお世辞を言ってやった。
クリスはその慰めに恥ずかしそうにしてたが、叱られて覚えるよりも、褒められて覚えた方が進歩が早いってことを良く心得ている、パコは良い教師なのだ。
何とも無様な乗馬教室だったが、都会っ子ってのはそんなもんだろうから、このさき乗馬が好きになってくれるなら、おのずと乗馬技術も身についていくはずだ。

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2008.02.04 (Mon)

ファミリー 3

鉄条網の修理は、革製のグローブをはめて慎重にやらなければ、ヘタをすると怪我をする恐れがある。
古くたわんで用を成さなくなったワイヤー部分を、ぺンチで切って新しいものに付け替える。
炎天下のもと、単調で気の遠くなる作業だ。
「おい、さぼるな!ちゃんとワイヤーを押さえてろよ」
おれは、顔を上げてクリスを注意したが、奴は別のことに気をとられていたらしい。ある一点を見つめている。
「…大変だ、JP、モップのお化けがこっちに向かってくる!」
クリスの視線の先を追うと、確かにそう見えなくはない、灰色の物体が徐々にこちらに近づいて来ていたが…
「おいで、ガウチョ!」
おれが呼びかけると、灰色の物体は小走りに駆け寄ってくる。
「こいつはプーリーのガウチョで、親父の愛犬だ」
「…犬」
そばにやってくると、束になった被毛の間からピンク色の舌を出して、ハッハッと、荒い息を吐いている。そして新参者の臭いをひとしきり確かめると、おれに向かって尻尾を振った。
『やあ、JP、今日も暑くてたまらんね』口が利けてたら、多分そう言ってたところだろう。
「ガウチョはもう、年寄りなんだ」
ガウチョの頭をなでてやりながら、そうクリスに教えてやった。
「…ねえ、JP、このドレッド・ヘアって、めちゃくちゃ暑そうだよ?」
確かにクリスの云う通りだが、親父に言わせると、プーリーとは元々被毛を縄状に伸ばした犬種なのだそうだ。
だが、テキサスの気候とは恐ろしくそぐわないし、クリスに指摘されて、改めて哀れに思えてきた。
そして、おれ達は顔を見合わせて、暗黙の了解を取った。
ピックアップの運転席では、窓を全開にして、居眠りしてる親父の姿を確認してから、荷台の奥に積みっぱなしになってた、羊用のバリカンをこっそり取り出すと『ガウチョ救出作戦』の実行に取り掛かった。
ガウチョは二人の人間に取り囲まれて、何をされるのかと不審そうに見つめたが、すかさずおれが前足を固定すると、大人しくされるがままになった。
その間に慣れない手つきで、クリスはバリカンを操り、ガウチョの毛を刈っていった。
羊のように丸裸にされてしまったガウチョ。もはやプーリーの面影はどこにもない…
自由の身になってヨロヨロと立ち上がると、ブルンと一振りして、体についた毛を吹き飛ばす。
初めて南部特有の乾いた風を感じたガウチョは、尻尾を振ってクリスに擦り寄ってった。
『こいつぁ、いいあんばいだ!』とでも、口が利けたら言いたい所だろう。
あとで親父にどやされたが、クリスがネットで調べて、プーリーの原産国は中央ヨーロッパのハンガリーで、彼の地は年間平均気温が10度前後だと指摘すると、ぐうの音もでなかった。
以来、ガウチョはクリスに毎年毛を刈ってもらうことになり、ほとんどクリスの犬になっちまった。


クリスとおれは親父の運転するフィードトラックの助手席に乗り込んで、給餌の手伝いをすることになった。
放牧地は広い範囲に別れている。餌の乾草はブロック状に梱包されていて、一つの重さが約30キロときてるからとても子供一人では持ち上げられない。おれたちは協力して一つのブロックの積み下ろし作業を手伝うことになる。
トラックを徐行させて散らばってる牛を呼び寄せて、荷台の上から乾草をばら撒いていくさまは、一見豪快だがけしていい加減なわけではない。
ふと横を見るとクリスは、まだ積み残ってる乾草のブロックにもたれて、舌を出してへたばっている。そのなさけない様子に、おれは笑い出してしまう。

クリスがやって来てすぐの頃、厩舎の掃除をすることになったが、都会育ちの奴が一言漏らしたセリフにおれはキレちまった。
「臭い…」
クリスは小屋に入ったとたんに鼻を押さえて言いやがった。
おれはギロリと奴をにらむと、薄ら悪い笑みを作って言ってやった。
「臭くなくなるまじないをしてやるよ、目つぶりな」
言いながら、ボケットの中を探り、目当てのものを取り出すと、ばかみたいに信じやすい性格の奴の鼻をそれで挟んでやった。
ぱちん!という音がした瞬間「ギャアッ!!」と鼻をおさえて蹲るクリスの惨めな姿。
はずれて落ちた洗濯ばさみを横目にザマミロと思ったね。
涙ぐんで非難がましい目を向けるクリスに、ふん!とそっぽを向いて作業をし始めながら、思うことを言ってやった。
「こいつらのおかげでおれ達は食っていけてるんだってことを忘れるなよ」
ヒヒーンとそれに呼応するように愛馬のエリーがいなないた。
『そうよ、臭いなんて失礼しちゃうわ。あんたなんかあたしの背中に乗っけてあげないわよ』
口がきけたら、多分そう言ってるはずだ。
その隣の囲いの枠から顔を出してる、未来のクリスの愛馬となるエストレージャは、ものめずらしげに新参者を眺めていたが。
ぶすくれて黙々と作業してるおれに、クリスはためらいがちに声をかけてきた。
「ごめん、手伝うよ」
「うん、サンキュー」
クリスを許せたのは奴の目が、本心から後悔してたように見えたから。

まあ、あの頃に比べて、たとえへたばってても、弱音をはかないだけましってもんだ。
子供だから牧場仕事をかなり免除されてるってのもあるけど、屈強な大人でさえ逃げ出すこともある。
研修生のヤスは一度脱走して、牧童頭のジムが見つけなきゃ、あやうく砂漠で干乾びてたとこだ。

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2008.02.04 (Mon)

ファミリー 4

夜明け過ぎにメディナリバーで魚釣りをすることにした。
クローフィッシュ用の仕掛けをしてから、釣竿で魚が釣れるのを待つ。
「おい!クリスかかったぞっ!引けっ」
「おっ、重いよっ!JPどうしよう…」
悪戦苦闘しながら、何とかおれ達はキャットフィッシュと、小魚を数匹釣り上げることができた。
「ルピータにフライにしてもらおうぜ!」
「うん!」
風が吹いたんでうっとおしい髪を耳に引っ掛けたら、クリスの興味を引いたらしい。
「JP、ピアスしてんの?」
「んー?ああ、母さんの形見かな…」
「亡くなったの、JPのママって…」
まずいことを聞いてしまったという顔をしたので、訂正する必要を感じた。
「いや、生きてるよ」
「っだって、形見って…!」
「全然会ってねーモン。思い出の品には違いねぇしさ。3年前にゲストランチでやって来てた、イタリアの伊達男にイカれちまって、一緒に逃げちまったから」
あんぐりと口を開けてるまぬけヅラ。やだねぇ、小さいことにこだわる都会育ちは…
だが、気を取り直して話題を変えたクリスの一言は、おれを大いに傷つけた…
「そんなのつけてると、JPって女の子みたいだね」
「………おい、…おれ女だぜ」


13才になって、おれ達もミドルスクールの最終学年に進級し、クリスの姓がアンダーソンになってから三年が過ぎた。
去年の暮れに、老犬だったプーリーのガウチョが、クリスの腕の中で安らかに息を引き取った。衰えた足でクリスの後ばかり、追っかけてたガウチョ。しばらくはクリスも寂しそうだったが…。
ガウチョの死を乗り越え、クリスは最近良く笑うようになってきた。おれもそんなクリスを見るのが好きだ。
でもちょっとかわいくないところもある。
だんだん図太くなってきたようで、最近おれに大して失礼な態度を取るようになってきたんだ。
あまりにもムカついた時は蹴りを入れてやるけど、てんで堪えた様子がない。
この3年で身長も抜かされたし、青白くてひょろひょろだったのに、過酷な牧場仕事を手伝ってるせいか、逞しい西部の男になりつつある。
「やっぱり間違いは正さなきゃいけないと思うんだ。ずっと引っかかってたんだけど、訛ってるのはJPの方だよ」
「………!」
まるでおれのこと頭の悪い不憫な子みたいに、噛んで含めるような物言いをする、こいつの態度が更にムカつくんだ!
殴りかかろうとするのを、親父に止められるのはいつものことだった。

こないだだって鞍無しの調教で遠出して帰ってきたら、埃まみれになったおれの姿をしみじみと眺めた後、クリスは自愛に満ちた笑顔で言ったもんだ。
「テキサス女はブスで有名ってよく言うけど、JPは輝くブロンドの巻き毛と、ターコイズブルーの美しい瞳を持ってる。大丈夫!これで女の子らしいドレスを着て黙ってたら、かなりの美人だとぼくは思うよ」
もちろんこの言い草はおれの逆鱗に触れた。
はっきり言ってクリスは皮肉や意地悪で言ってるわけじゃない。
こいつのつもりとしては、親切でおれに助言してやってるつもりなのだ…が!!
だからこそ始末が悪いとも言える。
この!大丈夫ってなんだよっ!つか、おれのスタイルについて、おれがいつお前に助言を求めたよ!?黙ってたら…だとぉ〜!おれにしゃべるなって言ってるのかよ、デリカシーのない、天然ヤローがっ!
タコ殴りにしてやったが、それでも腹の虫が治まらない。

最近はみんな力仕事はクリスの方に任せてる。
おれだってもう一人でトラックの運転くらいできるのに、力仕事を言いつけられるのは決まってクリスの方だ。
おもしろくないけど、仕方ないとも思ってる。
おれは女でクリスは男だ。構造の違いがある。きっともう、力でもかなわないのだろう。

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2008.02.06 (Wed)

ファミリー 5

スクールバスで下校して、母屋の玄関ホールを潜ると、併設してある事務所の方から深刻な話し声が聞こえてきた。
クリスと顔を見交わせると、気になったおれはこっそりと中の様子を覗いてみることにした。
「だめだよ、JP!…」
クリスはおれのTシャツを引っ張って止めようとするが、知ったことではない。
忍び足でドアの隙間から様子を伺うと、なんのことはない、親父と牧童頭のジムが仏頂面で話し込んでいた。
小難しい話に用はないので踵を返すと、叔父さんの呆れたような声が聞こえてくる。
「兄さん、あんな荒地を開墾する気かよ」
「土質はそんなに悪くないから、十分育つと思うんだがな」
「スプリンクラーをひかなきゃならんでしょう。初期費用がかかりますよ。元が取れるかどうかもわからんのに、そこまでする必要があるとは思えんね」
「我々南部の男は如何なる時もフロンティア・スピリットを忘れちゃいけない。失敗を恐れずにチャレンジした者にのみ、栄光が与えられるというものだよ」
「……栄光はひとまずおいといて、ぶっちゃけた話、うちの財政状態はそんなに切羽つまった状況なんですか?」
「…ううむ」
「なるほど、わかりました。スプリンクラーは自分たちで設置すれば人件費の節約になるでしょう」
ちょっと、まて!
おれは事務所に飛び込んだ。

「おい!あんた達、何の話してんだよっ!」
おれの後ろにはクリスが、すでにおれよりでかい図体のくせして、昔みたいに人の影に隠れて、心配そうに伺ってやがったが。
おれ達の顔を交互に見ながら、何でもなさそうに親父は言った。
「来期から余剰地を使って、バイオ燃料用のコーンを作ろうと思ってるんだよ」
「…農家のまねごとして、うちもエコ燃料を作るって訳だ!バイオ燃料用のコーンばかり作るから、貧しい奴らは食用のコーンが値上がりして食えないって問題になってるこの時期にねっ!」
親父は片方の眉だけ器用に上げると厳かに言い放った。
「ご立派な意見があるようだが、ジェーン・パトリシア…まずは自分たちが飢えない心配をしなさい」
ううっ…ここしばらく見てなかった親父の迫力に、おれはうろたえてしまう…
けして頭ごなしに怒鳴るわけでもないのに、こう真に迫るというか…
「私にはこの牧場を続けていく使命と責任がある。アンダーソン家100年の重みだ。不況のあおりを受けて意に沿わないこともしなければならないが、私はこの牧場とおまえ達を守るためなら、誰に非難されようが何ら恥じるところはないね」
何も言い返すことなどできない。
親父の正論に、唇をかみしめてバカみたいにつっ立ってることしかできなかった。
クリスがおれの肩に手を置いて、心配そうに覗き込んでいる。
ばかやろー!ほっとけよっ!なさけねぇー…
いらない世話を焼いた気の毒なクリスを振り切って、おれは事務所を飛び出した。
後を追ってくる気配がしたが、知ったこっちゃねぇ、ほっとけよ!

しばらく走って気がついたら、主のようにそびえ立ってるヒッコリーの木に抱きしめてもらってた。
巨木の心音が聞こえて、とても落ち着く。
収穫の時期を迎えるとラグビーボールに似た実を落とす。クルミ科の木の実でアメリカ人、ことにテキサス人にはなじみが深い豆だ。ルピータにはよくピーカン・パイを焼いてもらってた。

…わかってる。
恥じ入らなきゃならないのはおれの方だ。
うちの牧場には様々な人種の牧童たちがいるけど、中でも国境に近いせいか、メキシカンやチカーノがやっぱり多い。
彼らと接するうちにスパングリッシュやスペイン語が少し話せるようになったわけだ。
当然、スクールでもチカーノの友達が多いし、移民たちはおしなべて低所得者が多い。
親父に反発したのは、友達に「お前も貧乏人を省みない利益優先の白人」って、軽蔑の目で見られるのがこわかったから…

クリスがやっとおれを探し当てて、傍らで静かに見守っていた。
ーはあ
強い心が欲しいな。ちょっとのことで動揺したりしない、強い信念を持った心が欲しい。
「強くなりたい」
口に出して言ってみた。それをクリスが黙って聞いていた。
「おれの夢はさ、アンダーソン牧場を引き継いで行くことなんだ。経営するのが難しくなって、今度こそ土地を売る羽目になるかもしれない。それでも、おれ、この牧場の仕事が好きだからさ」
そこで、ちょっと思いついた…
「お前の夢は?」
おれの質問にクリスはびっくりしたように褐色の目を見張った。そして何かを振り切るように答えた。
「ぼくも手伝うよ!」
はあ!?
「ずっとJPのそばにいて、牧場経営の手伝いをする!」
おれはちょっと考え込んだ…そして、この違和感の答えが出た。
「でもそれは、お前の夢じゃないだろ?」
「ぼくの夢?……いや、そんなの考えたこともなかったから。だから、いま決めたんだ。ぼくの夢はJPの夢だ!!」
何か釈然としないものを感じたんだが、この時のおれには、クリスの抱えてる懊悩に気付く余裕などなかった。

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